(三橋鷹女『魚の鰭』)

山の端に沈もうとしている夕日が最後の光を谷間にある一本の紅葉を染め上げる。人はおろか、鳥も虫もいない。森閑と静まりかえった晩秋の冷気の中でただ一人立ち尽くす中年の女。
穏やかな表情の奥には自分でも気づいていない凄絶な情念が渦巻いている。
木の幹に手を触れて見上げる。さっきから耳鳴りがする。
この木に登ったら、もう下界には帰れないかもしれない。そんなことを思って、ふっと笑った。