エイプリールフールに生まれてから学生時代まで
20年の千葉松戸での定住生活を捨て、若隠居の楽天地を求め、小田原へ移住。
クルマの免許を35歳で初めて取得。トライアスロンや釣りに明け暮れ。
| 1994年3月 | 2年留年ののち、東京大学を卒業。卒業するときには、国文科ではなく日本文学科という名前に変わっていた。就職活動をせず、作家になるべくアルバイト講師をしながらの修行の道を選んだ。 | 大学生 |
| 1993年 | 第2回やまなし文学賞佳作。受賞作「伝次郎の鱗」は、山梨日々新聞に2ヶ月間連載。 | |
| 1992年 | 自動二輪限定解除。千葉幕張試験場にて事前審査3回、本試験1回。 | |
| 1991年 | 自動二輪免許(中型)取得。柏自動車教習所。 | |
| 1991年4月 | 文学部国文学科に進学。 | |
| 1990年7月 | 原動機付自転車の免許を取得。 | |
| 1989年4月 | 早稲田大学政治経済学部、慶応大学経済学部が不合格。早大第一文学部、東京外国語大学仏文科、東京大学文科三類に合格。東大受験科目は日本史と世界史を選択。史上最後の共通一次試験では世界史と地学を選択し、720点。東京大学に入学。クラスは文三9組。 | |
| 1988年4月 | 東京大学文科三類と早稲田大学法学部に落ちる。共通一次は609点(800点中)で、ぎりぎり足切りクリヤー。記念受験で東大を受けたのが幸いして、代々木ゼミナール代々木本校東大文系1組(通称LA1)に無料入学する。 | 浪人生 |
| 1985年4月 | 憧れの早稲田大学高等学院を二次試験(面接)で落ちる。開成高校は受験番号500キリ番の記念受験。江戸川学園取手高校への入学がほぼ決定していたのに、突如、宗教がかった母親の激しい翻意によって、千葉県立東葛飾高校に入学。 高校時代はバドミントン部に所属。個人ではダブルスでかろうじて地区大会3位。団体では県大会ベスト8ながら、僕は補欠。 高校1年のときは裁判官、2年はディスカス(熱帯魚)ブリーダー、3年で漫画家を志望す。 ドラクエにはまり、学校を休んだり遅刻してばかりだったので、出席日数ぎりぎりのスリリングな卒業であった。 |
高校生 |
| 1984年9月 | 茨城県竜ケ崎市立長山中学校に転入。1学年14クラスのマンモス中学から、1学年26人の新しい中学への転入であった。翌年、同校を卒業。 | 中学生 |
| 1983年6月 | 香川県高松市立屋島中学校に転入。 |
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| 1982年4月 | 高知大付属中を受験するも失敗。県下一の名門、土佐中の真向かいにある高知市立潮江中学校に入学。 |
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| 1981年 | 高知県高知市立潮江小学校に転入。翌年、同校卒業。 | 小学生 |
| 1978年 | 佐賀県佐賀市立赤松小学校に転入。 | |
| 1976年9月 | 東京都品川区立小山台小学校に転入。 | |
| 1976年4月 | 香川県高松市立木太小学校入学。 | |
| 1973年 | 高松市立高松東幼稚園入園。 | 幼稚園 |
| 1973年5月 | 実弟、東が出生。 | |
| 1970年4月 | 4月1日午後11時5分、香川県高松市の病院にて帝王切開にて出生。3300g。医師に「4月2日生まれということにしますか?」と訊かれ、「とんでもない。これぞ役人の子だ」と言う父、四郎のひとことで1年早い学年で苦労する運命が決まった。四郎は根っからの建設省官僚であった。 | 出生 |
