発心
オレは昔、かっこよくなりたい、筋肉を付けたい、としきりに考えていたが、今はゆがみたかった。
(『人のセックスを笑うな』山崎ナオコーラ)
19歳の男の子と39歳の既婚女教師との短かくせつない恋は予告なしにはじまり、唐突に終わる。「今はゆがみたかった」というところが、よい。
07/7/23
不思議なことだが、こういうことを始めると自分に妙な落ち着きが出てきた。渋滞にはまっても昔のようにイライラしなくなったし、無理な割り込みをする奴がいても自然と譲れるようになっていた。
(『ミサイルマン』平山夢明)
引用文中、<こういうこと>というのは連続殺人のことである。
スプラッタや猟奇ホラーは好きではないが、平山夢明の各短編は凄惨にはじまり凄惨に終わりながら、なぜか救いの一条に近い情感を読後にもたらすものがある。(もたらさぬものもある)
また、拷問の歴史は人間の想像力の可能性の歴史だ、というような言葉を聞いたことがあるが、そういう意味では平山の想像力は、既存のどんな凄絶な拷問さえも及ばぬであろう。圧倒的な想像力、そこに引き寄せられて、いやだと思いながらも、また一篇、また一篇、と読んでしまうのだ。
07/7/20
これは、本格的だ。
今まで「絶望だ」と思っていた出来事のすべてが、「100均」に並んでいるような安物の絶望に思える。今度こそホンモノ。この孤独のコクの濃さ。密度。いやだ。考えるな。ペラペラの現実の尻尾を、つかめ! つかんで離すな!
ひゃっひゃひゃひゃひゃあ。
わたしは一人ぼっちの冷たい部屋で、とうとう笑い出したもんだった。生きてまあす。わたし、生きてますからああって、泣きながら笑ったもんだった。(『クワイエットルームにようこそ』松尾スズキ)
松尾スズキは劇団「大人計画」所属。あのクドカン(宮藤官九郎)の師匠格にあたる人である。演劇畑の人の小説が熱い。言葉が走っている。
小説はオーバードーズで緊急入院した、28歳の雑誌ライターで元読者モデルの女の、退院するまでの2週間を描いたものである。
偶然にも、この小説を読みはじめたのは病院の中でだった。前夜、東京からひとり暮らしの母をクルマで迎えに行き、小田原の病院に入院させた。ふくらはぎの筋肉が切れる、いわゆる「肉離れ」で、退院まで2週間。
海と真鶴半島の見える病室や、リハビリセンターで、院内描写など、いちいちうなずきながら読んだのだった。
07/9/16
「古い音楽をよく聴きます。新しい音楽とは、すでに存在しているものの上に成り立っている。古いものにちょっとした跳躍があると、内部で大きな変化が生じる。敵陣突破できる」
(ミック・ジャガー)
ロックンロールとともに走りつづけ62歳になってなお現役のミック・ジャガーの言葉。朝日新聞による来日インタビューより。
ちょうど僕もまた、古典を助けに膠着した自陣突破を考え、人生課題として名高い「マールセール・プルースト読破」を試みていたのであった。
完全訳が文庫で出たし、訳者が著した読破サポートの新書も合わせて読んでいたのだが、1週間にして挫折。チャレンジしているということにおいてのみ豊かな甘美さがあったものの、苦痛とまではいかないまでも、今の自分には時期尚早であった。
明確な収穫としては、老後の世界旅行の際に、クイーンエリザベス2世号の中で読むべきものだと分かったこと。ヨーロッパ文化に対する憧れと土着的実感なしに読むのはもったいない。今の自分は、この日本で精一杯である。
2006/3/28
源泉がゴボゴボ噴き出している音を聞くたびに、カザマは死んだ祖父が口にはめていた人工呼吸器の音を思い出したものだが、それすら慣れてしまった。
(藤沢周『ブエノスアイレス午前零時』)
同作で芥川賞受賞。
彼の作品群は、じつに発心集だと思う。扱っているのはふつうの日常なのに、その一文一文に油断がなく、だれない。
過去の記憶のフラッシュバックの記述が随所に出てくるが、その脈絡のなさがハードボイルドで、オブリガードで、いつも、まいったな、と思う。冒頭の引用しかり、下記の引用も。
カザマは紺のアノラックを脱ぎながら、三世帯しか入っていないマンションの自分の部屋について思った。そのベランダに積もっている雪で、ふざけて作った小さな雪ダルマだ。氷の代わりにグラスの中に新雪を入れてウイスキーを注いだ時に作った。まったく意味はない。ベランダの柵の上の雪を払って、そこに載せたが、また雪を被って形を変える。何故、そんなことを今思い出すのか自分でも分からなかった。
ベランダに半年もぶら下がっている片方だけの黒の靴下が頭の中を過って、カザマはロッカーのドアを閉める。(藤沢周『ブエノスアイレス午前零時』)
そして主人公には最後に発心が訪れる。禅的な発心である。
しかし、発心マニアからすると、多くの作において、発心のしかたがやや定型にはまっているのが残念だったが、「ブエノスアイレス」では発心の顕現のしかたが絶妙であった。こういう作はやはり題もいい。
