17年ぶりのチャリンコ
2004年夏、スイムをかろうじて3km泳げるようにはなった。
しかしチャリとの再会は、まったくの「飲み席の勢い」だったというしかない。引っぱり出したのは、ガレージの奥に眠っていた17年前の「3RENSHO(三連勝)」だった。

17年ぶりにチャリをレストア
20歳(はたち)目前の春、オートバイの教習所に通い、卒業検定を残すのみとなっていたが、ちょうど付きあって間もない女にふられ、やけっぱちになった。フランスの外国人部隊にでも入隊したい気分だったが、そんな度胸もないので、近所の自転車フレームビルダーに行き、オートバイ購入のための貯金をはたいて1台のロードレーサーを買った。カラーオーダーしたトリコロール(赤・白・青のフランス三色旗カラー)は、ほんとうは買う予定だったCBR250RRというオートバイの色だった。(オートバイ免許は翌年、もう一度最初から教習を受けて取った)
江戸川サイクリングロードを一度だけ終点の関宿まで走ったが、すっかり懲りて、以来ほとんど乗らなかった。その程度の根性であった。ガレージの奥でロードレーサーは長い眠りにつくことになる。
17年後の2004年初夏、仕事の取引先の飲み会で、たまたま自転車の話になった。飲んでいた相手の何人かは会社の自転車部のメンバーだった。
「ぼくも自転車持ってるんですよ」
そのひとことで、自転車部のメンバーに迎えられた。勢いあまって、一ヶ月後にせまった筑波12時間耐久自転車レースにチームでエントリーしたため、急きょガレージの奥から3RENSHOを引っぱりだした。

ひどいものである。ここまで腐るのかという退廃ぶりであった。とりあえず磨けるところは磨いたが、これが再び動くのか、はなはだ疑問であった。
自分では手に負えないと分かり、いちばん近くの自転車屋に持っていった。この店がセオサイクル新松戸・・あとで知ったのだが、SEMASという巨大チームを牽引するショップであった。
森井店長はロードレーサーへの造詣が深く、ぼろぼろの旧車を手にしたおかしな飛び込み客にも親身の対応をし、結果、最高峰のコンポーネントDURA-ACEによって生まれ変わったネオ・サンレンショー号の誕生となった。


17年の技術の進歩は想像以上だった。ほとんどのパーツが交換となったほか、ジャージやヘルメット、シューズなどもそろえた。
7段変速は10段化され、フレームサイドにつけていたシフトレバーはブレーキと一体化したものになっていた。どうやってシフトチェンジするのか、教えてもらうまで分からなかったのは言うまでもない。そもそもペダルに固定する専用シューズを使うのははじめてだった。
初乗りの瞬間。
全身、買ったばかりの装備でかためている。もちろん、納車の瞬間を美しいものにするために、店内で着替えさせてもらったのだ。はじまりだけはカンペキを期する。
それにしても似合っていない。
どうやってシューズをペダルに固定するのか考えているようだ。後ろで見守る森井店長のまなざしが心配そうだ。

一週間後、筑波山の不動峠に行った。完全に終わっている腰つきがなさけない。
レースまで一ヶ月を切っている。とにかく時速30キロで30分走るのを目標にするようにと言われていた。なかなか届かず、夏短かしと、江戸川サイクリングロードで海に行き、丹沢の山岳を走り、仕上げに会津の山岳を走った。
(※下記リンクは、それぞれの遠征鍛練の記録です。別ウィンドウで開きます。リンク先:バトルツアー・データベース)
そして迎えた筑波12時間耐久レース。夜10時にスタートし翌朝10時ゴール。これを1チーム5人で交替して走る。

オートバイでは走り慣れていた筑波サーキットだったが、ここをよもやチャリで走る日、いや夜が来るとは。
闇を切り裂いて走り抜ける、シャー、という先頭グループの通過音・・抜かれるときの速度差と迫力・・鼻梁の奥に焼きつけられた夜のアスファルトの匂い。
チャリに取り憑かれた瞬間だった。
燃えあがるチャリ鍛練
耐久レースの経験は大きかった。何より、チャリというものがあそこまで速く、カッコよく、強く走れるものだということを、この目で見たのだ。チャリに乗っていると、そのイメージがついて離れず、今まではつらいと思っていたスピードでも、もっとイケル、もっとイケルというふうになった。
スイムはすでにこの夏、3km連続泳に成功経験ができている。次は自転車で180kmを経験しておく番だった。
小学1年の娘の運動会の朝、すでに僕は単騎チャリに乗って利根川を下っていた。高校の時に若い冒険心で無謀にもチャレンジし、あっけなく挫折した銚子をめざしていたのだ。あのときは一晩走り、印旛沼をまわったところでギヴアップした。リベンジの日が再来するとは思っていなかっただけに、この日の僕はかなり高揚していた。
オーバーペースとハンガーノックに気をつけながら、松戸〜銚子往復+αの268kmを走りきり、若き日のリベンジとアイアンマンの自転車規定距離を走り切る経験を得た。若さだけではできないこともあるのだ。
冬の寒さが厳しくなると、ローラー台を買って部屋の中でもチャリに乗った。ローラー台の上で走っていて、夜遅くに仕事から帰ってきた佳代子をびっくりさせたこともある。
「うちに近づいたら、家の中から、ゴーって音がするんだもの」と佳代子は言った。
ローラー台動画
泳いだあとのランニングはムリ
このころになるとオートバイのかわりにチャリでプールに行くこともあったが、プールの駐輪場が移転して不便になったので、気まぐれでランニングで行ってみた。
冬なので、チャリやオートバイクに乗ったあとの冷えきった体でプールに入るのはつらかったが、ランニングならほどよく暖まって、こいつはいいや、という感じ。しかし泳いだあとに走るのはきつくて、たいていは歩いて帰路を踏むことになった。
トライアスロンは泳いだあとにチャリ、そのあとにランである。しかしこのときの僕は、チャリで足を鍛えておけば、何もしなくてもランもいけるはずだと信じて疑わなかった。

家からプールまでのコース(往復3km)
31時間寝込んだ
アイアンマンをめざし日々の鍛練にもかかわらず、日曜の朝目覚めると首筋が痛い。前の晩は午前2時すぎまで室内トレーニング用ローラーの上で自転車を踏み込んでいた。寝違えた程度に思って、ローラー自転車をはじめたが、体中の皮膚という皮膚の神経がピリピリし、5kmも踏み込まないうちに落車。ローラーは精神統一がとれていないとすぐに手痛い結果となって現れる。
寝違えた程度で横になるのも、アイヤーンマンたるものナサケナシと思いつつ横になったら、そのまま31時間にわたって眠りつづけた。途中、何度か目が覚めたが、北海油田にパンツ一丁で投げだされた夢をみるほど寒かったかと思うと、次は掛け布団も敷布団も汗びたしの灼熱・・それでも起き上がる気力もなくコンコンと31時間。
当初は「またいつもの大げさ病人がはじまった」ぐらいにしか思っていなかった家人も、12時間経過時点で「ちょっと様子が変」から「どうやら、ちゃんと病気らしい」と評価をアップさせ、27時間経過の月曜早朝の時点においては病時臨戦体制が布告され、隔離措置がとられた。
朝のゴミだしや娘の学校送りを妻が引き受けてくれたものの、イスラームの戒律のごとく日課に殉ずるアイヤンマーン主夫としては、まこと慚愧(ざんき)に堪えない。しかも今日は都内で打合せがあったので、午前10時、31時間ぶりに糠床のごとくなった布団をはいずりだした。
仕事に出ている家人は再三メールで安静にしているようにと念を押してきたが、打合せを終えた僕はアイヤーンマン主夫の尊厳を賭け、帰りしなに娘を迎えに行き、買い物をし、カレーをつくった。しかし圧力鍋を加熱中にフタを開けるという大失態をおかし、一瞬、目の前がどしゃーっと真っ白になった。
いやほんとに、タイタニックも蒸気で動いてたなあと実感するすさまじき迫力。
あやうく全身包帯のミイラマーンになるところだった。
半端じゃなくびっくりした。
ショックのおかげか、病気はいっぺんに吹っ飛び、こうして書いている今は元気である。思いあたるフシがないのであるが、いったい何のウイルスだったのだろう? 咳、鼻水、のどの痛みはいっさいなし。症状は、悪寒、発熱、コンコンと眠る、圧力鍋のフタを開ける。
(2005/1/17)
ノロウイルス。浮遊する。
熱で31時間眠りつづけた不可思議な病が治り、さっそく主夫の日課への復帰をこころみた。家事と仕事の両立にはまずもって体力。肉体鍛練も最重要の日課である。なんとなく腹が痛い。
スウィムは1.7kmにおさえ、ランも1kmにとどめる。移動はたいていチャリだが、今日はオートバイを使った。
チャリに乗っているときは歩道を確認せずに飛び出てくるクルマに淡い殺意を抱くことしばしばだったが、今日はオートバイで走りだして20メートルもいかないうちに、歩道から出てきた自転車の若い女とぶつかりそうになった。こっちはまったく気づかなくて、激しい殺意の目でにらまれた。ゴメンさい、ぜんぜん歩道見てなかったです。案外、歩道を確認するというのは難しいと知った。これからはチャリでも車道を走るようにしよう。そんなことを考えつつも、なんだか腹だけはずっと痛かった。
家にもどると、取引先の人からのメールで、世間のお年寄りたちを震撼させているノロウイルスについて書いてあった。その人はつい先日、高熱にうなされながら「これで死んだら**人目の感染死亡者とニースで報道されるのでは!」と布団の中で考えたと綴られていたが、文末にはこうあった。
「でも、腹痛はなかったので、ちょっと違ったみたいです」・・・。
ノロウイルスが突然、なぜこんなに騒がれだしたのか分からないが、ここのところ、降って湧いたような天変地異が多いような気がする。社会問題の回転速度が速い。大地が怒りに満ちておる、みたいな感じである。アメリカのとある地名に由来するネーミングらしいが、ノロウイルスの日本語における語感はやっぱ気持ちわるい。アンニュイな世紀末的な匂いがする。「呪い(のろい)」の語感に近いことも日本人の無意識に訴えるところがあるかもしれない。
ともかく津波にせよ、ウイルスにせよ、テロにせよ、何ができるかを考えるとあまりに無力すぎて考えることを放棄したくなる。で、放棄した。・・ら、やっぱカラダがシホンってところにもどるわけだ。
午後11時。家事と仕事をひと段落させた僕は室内自転車トレーニング用ローラーをもちだし、ツール・ド・フランス2001年の映像を流しながらペダルを踏んだ。前輪の不安定な動きと、ローラーの不規則な振幅で、肉体と精神の統一がとれていないことが知れる。
病に倒れた日、床に伏す直前までローラーに乗っていた。が、その日は5kmで落車のため打ち切った。それがやや心の傷になっているのか、かすかな恐怖心が心の揺れとなって、ペダルを運ぶ足の動きを硬くしているようだ。何度か脱輪しそうになる。不安がペダリングにさらなる揺さぶりをかけはじめていた。
ローラーのすぐかたわらでは、敷いた布団に娘が服のまま横たわっている。5分も放っておけば深い睡眠にからめ捕られてしまうだろう。歯を磨かせなきゃならないし、風呂にも入れないと。
ノロノロウイルスの妄想を振り払うためにも30kmは踏みたかった。が、ちょうど細君が会社勤務から帰ってくる時間でもあるし、娘を風呂に入れていないと叱られる。
が、アイヤーンマンたるものは自発的な理由がないと鍛練をやめられない。
僕は都合よく、今日は落車のトラウマを乗り切ることこそ肝要、との名目のもとで短縮路線を決し、前回より1km多い6kmをゴールに設定した。
4kmを越えてからペースを徐々に上げ、4.5km地点で時速37キロ。維持したまま残りを走りきろう。ハンドルヘッドに汗がほとばしり落ち、メガネが曇る。映像もツール・ド・フランス2001年前半戦の終場。5.5kmを通過してもまだ少し足が残っている。シフトアップ。
スパート。
メーターは時速39.5キロを越え、40の表示に変わる。残り距離が加速して縮まる。300メートル・・200メートル・・100、90、80・・、そのとき、
「ただいま〜!」
背中に白い羽根が生えたような感覚。天に誘われるような美しい賛美歌に包まれながら、僕の手はゆるやかに宙をさまよい、前輪がローラーと壁のあいだの隙間に落ちていくのが見えた。
まもなく後輪もダイナモを乗り越えて落ちることだろう。
時速40キロで回転するホイールが、その強大な慣性力で静止した床を蹴り上げる瞬間を待つことしか僕にはできない。
ペダルに固定されたシューズが今日に限ってはずれない。
妻の気配を後ろに感じた。いや、姿さえ見える。背中に目がついたみたいだ。背中だけじゃない。空間というものが、まるでA4の紙の上に展開してのせたみたいに明瞭に見える。
ああ、娘が寝ている。横顔をみせて。僕は自転車といっしょにゆっくりと降下した。
スカイダイヴィングではるか下の地表を見ながら、着地地点を考えている感じに近かった。
「寝てた子をよくよけれたね」
自転車とローラーを片づけていると、そう妻が言った。
よけた、という実感はなかった。手にとるような浮遊感。
僕はただ、空間を泳ぎながら、眠っている娘のわきに羽のはえた天使のようにそっと降り立っただけだった。
翌朝見ると、自転車の距離計は「6.00km」を表示したまま止まっていた。
ノロウイルスの症状がひとつ加わった。スローモーション的空間感覚。
「う〜ん、素晴らしい・・」
「スバラシーじゃなくてさぁ、火かけたまんま圧力鍋のフタ開けたり、寝てる子のま横で自転車ブッ飛ばしたり、ちょっとおかしいんじゃない」
妻はまだ感染していないらしい。
(2005/01/18)
チャリにGPS搭載実験
昨年12月に発売されたばかりの米ガーミン社製ハンディGPSが届いた。ガーミン社製品としては初のカラーモニタGPS。USBでパソコンと連結させることで詳細なマップソース(道路地図データや等高線データ)や作成したルートをGPS内に入れることができるし、逆に走った軌跡(トラックデータ)をPCに移すこともできる。
先に話題にあげたカシミール3Dとの連動やデータのやりとりも可能なので、BMWアドベンチャーや、HONDAゴールドウィングで鍛えてきた、ナビをお守りにしてズンズカ未知の細道に突入するバトルツアースタイルをチャリでもやってみようというわけである。チャリのさすらいだって星だより・・すごい時代だ。
さっそく練習機に仮搭載してテスト。家の裏の路地レベルまで表示できた。GPSの精度もかなりのもの。二車線道路なら右側の歩道と左側の歩道の違いを識別する。
いざ、江戸川サイクリングコースへ。強い冬型で、猛烈な北風。吹きっさらしの土手は風をモロ受けてしんどい。反面、空気は澄み渡って、ぐるりと視界を山が囲んでいる。ふだんは山を感じることができない関東平野だが、やっぱ山国なんだなぁと関東在住23年目の驚き。
帰ってから、さっそくパソコンに走行軌跡を転送し、カシミール3Dで展開。3D撮影機能を使って、あのぐるりと視界を囲む山々の感動の再現にチャレンジ。人間の目の視角にもっとも近い50mmレンズを使用し(標準の広角レンズだと山が小さくなりすぎて平らになってしまう)、ハイグレードフィルムで冬の空気の透明感を狙う。一方、広角を使うときよりもピントがシビアになるので、ピント設定を被写界深度優先にし、画面奥まで焦点を掘り下げたりして、やっと近い雰囲気になってきた。画像がそれである。

チャリンコに搭載したハンディGPSによって得られた日課サイクリングコースの走行軌跡を線で表示。データには速度や高度データも含まれていて、これは速度によって色分けをしたもの。冬型の気圧配置が強く、北からの風強かったために往路と復路では倍近いスピード差が生じている。赤線は時速30キロ以下。オレンジ線が30〜40キロ、イエローが40〜50キロ。二ヶ所ほど見えるグリーンの線は、さて何キロ?
(2005/01/19)
ローラーが踏めない
謎のウイルスが災いし、室内用自転車ローラーから二度の落車を喫してからというもの、てんでだめ足になってしまった。
まず、乗ることが怖い。
つい先日まで、字幕映画を観ながらでも踏めていたのが嘘のようだ。
ペダリングのリズム、正確な足の運びが崩れ、速度がでない。よって動きが安定しない。
何度も前輪が落ちそうになる。
不安ばかり増す。
不安は精神統一の最大の敵だ。
ローラーに乗っていると、心の乱れが手に取るように分かる。
まずは不安を乗り越えなければならない。
そのためには、ひたすら踏む以外に方法もない。
その後、恐怖に堪え、幾度かの脱輪、落車の憂き目にあいながら踏みつづけた。
一ヶ月ほどで変化が現れてきた。一ヶ月で970キロメートルを踏んだ。安定感がもどってきた。むしろ前よりもいいぐらいだ。
そういえば、ある禅僧が酒を飲んでいても、いきなり路上で逆立ちをするという話をしていた。両手にのしかかる体重と地球。
重力と筋力。この調和に宇宙を感じたとき、悟りが開く。
曰く、「あれこれ考えると倒れますから」
うん。倒れます。


0.1馬力で攻めるパープルライン