アイヤーンマン!

アイアンマン・トライアスロン・・
スイム3.8km、チャリ180km、ラン42km。
どー考えてもムリだろー!
そこで考えるのをやめて、とりあえず走ることにした。
ヘヴィスモーカー文士が、どう考えてもムリだろーと思いつつ、トライアスロンの頂点「アイアンマン・ハワイ」をめざす、のらりくらりのマッスル・エッセー集。

市原千尋画像

鍛練の純粋性を保つ

 鍛練がさらなる鍛練を呼びだすアスリート・スパイラルに陥りつつあった。

 僕はアスリートではない。戦う文士だ。

 ノルマを捨て、ドラッグを捨て、アミノ酸を捨て、何より目標を捨てる。

 鍛練を鍛練として純粋化する。

 気持ちイイところでやめなさい、のストレッチ・メソッドの精神へ。

鍛練の純粋性を保つ

 泳ぐ、走る、チャリこぐ、さらに深酒泥酔、ニコチン中毒のすべてを兼ね備えるアイヤーン合金マンへの鍛練も1年と半年。

 今日は仕事のあいまを縫って、ラン7km、スウィム2km、チャリ30km。日課として平均的な数字だが、じつはこれでもちょっと減らしはじめている。冬場と比べるとかなり少ない。

 そもそも何かをはじめると、とことん墜ちていくスパイラル気質のせいで、この鍛練も最近ちょっと行き過ぎ感がでてきた。やりすぎなのか、会う人ごとに「あらぁ痩せたんじゃないですか」。今週はすでに6人に言われ、これぁいかん、肉をつけねばとますます暴飲暴食、不眠不休で泳ぐ走るチャリこぐ・・と、どんどんスパイラルに墜ちてゆく。

 今日の夕刻、1km離れた学童保育所に娘を迎えに行く日課のために、煙草をふかしながら、ぷっかーぷっかー蒸気機関車みたいにマラソンをしていた。橋の坂をのぼりきって荘厳な夕日が目に飛び込んできたとき、はたと気づいた。

 夕日は、ただ夕日だからこそ美しい。

 5年計画で達成せんとしているアイアンマン・トライアスロンも、本来はレースに出て勝敗を競うわけではなく、ただ単にMYトライアスロンとして一人にやにやしながら、ぷっかーぷっかー走ったり泳いだりチャリこいだりするだけのつもりだった。

 のに、このところ、ちぃっとばかしタイムが上がってきたせいか、ややもするとレースなどに色目を使いはじめている。つまり鍛練の純粋性が穢れつつある。鍛練の堕落。

 無目的にぷっかーぷっかーやるからこそ仏道修行、豊かなボヘミアンライフが訪れようもの。

 鍛練の純粋性を保つには、鍛練の質を上げませんとね。ノルマにがんじがらめの鍛練を、自由に解放せねばいけませんてすよ。毎日、数字で逐一記録なんかつけているからダメなんてすよ。並んだ数字見てにやにやするのは、トロフィー並べるのと同じぐらい堕落てすよ。

 ッてことで、やめた。まず、記録をつけるのもやめ。糠漬けもやめ。1000人斬りもやめ。ノルマっぽいの、ぜーんぶ、やめやめ・・と、赤く沈む夕日にむかってガッツポーズきめた宵の春。

     *

 さて翌日。ノルマと数字から解き放たれた初日は桜満開。あっちも、ぽわわの桜、こっちもぽわわ桜、ぽわわぽわわと至るところで春爛漫。

 こうなると散りはじめるのを懸念して気もそぞろ。
 早朝から3kmラン、2kmスウィム。ん、やっぱ数字化している。完全に癖になっている。いかんいかんと思いつつ走っていると、ふとぽわわの桜を見やって、どきっとした。
 
 散る花と 見れば舞い上ぐ 紋白蝶   ちっぴ〜ろ
 
 おおっ。走りながら句作など興じちゃってるではないか。

 ちょっと走るのをやめて、販売機の茶をすする。

 ノルマから解放された自由の味。

 昨日までは数字を上げるために時間を目一杯使おうとしていて、かえって時間を殺していた。執着を捨てることは難しいが、捨てることで開くものもあるんだなあと実感する茶の味。ぽわわの桜。

 スウィムでは泳いだあと、じっくりストレチをし、ゆるりとジャグジにも入る。昨日までは時間内で目一杯泳いだ距離の数字を上げようとしていたから、ストレチもジャグジももちろんのこと、詩吟などしたこともなかった。春だなぁ、自由だなぁ、と、またも詩吟。んんっ。

2005/04/08

ストレチはナルシスに

 ストレチが、折り返し後の人生を左右することは、もうかなり前から直感が言いつづけていた。直感は、僕の中の最高決議機関である。どういうふうに方針が決定されるのかは、まったくのコンクラーベ(秘密投票)で、外部はもちろん、僕自身にも分からない。それに唐突に啓示のように落ちてくるので、それが何を意味するのか分かるまで時間がかかることも多い。直感を司る枢機卿がどこに、何人いるのかも、いまだ謎だ。
 さて、件のストレチであるが、間違いなく後半の人生がこれにかかっている。僕は子どものときから異常に体が硬い。高校、大学とバドミントン部をやっていて、自分の技能がある程度のところで止まってしまうのは、ほぼ100%、ロボットみたいな身体のせいだと分かった。上級者を見ると、動きがしなやかで、全身のバネが強い。ゆっくり動いているように見えて俊敏で、流れるように打つスマッシュは矢のように速い。弟も大学からバドミントンをはじめたので、その姿を見て愕然とした。体が硬いせいで、バネがないばかりか、手、足、腰の動きがバラバラで統制がとれていない。これでは上達するわけがないと悟った。極度の近視も眼筋が硬直してしまっているせいで、体が硬いのと無関係とは思えない。弟を見て、自分の身体の問題を目の当たりにしたかっこうになった。
 そこで何度かストレチを試みたわけだが、このストレチというやつは、ひとりでマジメな顔をしてやっていると、じつに馬鹿らしい。酢を飲んだり、風呂の中でくにゃくにゃやってみたが、どれも長続きしない。あまりに馬鹿馬鹿しいのだ。あまりに馬鹿馬鹿しくて酒を飲みながらやってみたりもしたが、柔軟になるというより、ぐでんぐでんになるだけで、すぐにやめた。
 娘が生まれたとき、再び愕然とすることになる。幼児の体の柔軟さ。まるで全身が一本の鞭のようにしなやかに統制がとれている。赤ちゃんが飛行機事故や転落事故で奇跡的な生還を果たすのも、この柔軟さに鍵があるのは間違いない。意を決して、柔軟に励んだが、1週間もしないうちに馬鹿馬鹿しくなってきて途絶えがちになってしまった。
 プールに毎朝通いはじめて気がついたのだが、プールサイドで延々をストレチをやっている茶髪のおっさんがいた。いつも派手なくんくんのビキニで、ガラスに映った姿をまじまじと見つめながら、くねくねうりうり、1時間も2時間も飽きずにやっている。気持ちわりーやつだ、でったいにカマ野郎だ、と思って、ひそかに「ナルシスマン」とアダナをつけて嘲笑していたのだが、最近になってこのナルシスマンの泳ぎがめきめきと上達していることに気づいた。流れるような動き。水に抗うのではなく、水を味方につけてスピードにのる泳法だった。
 試しに2km泳いだあとに、休みがてらストレチをしてから再度泳いでみた。嘘のように身体が水の中で流れる。筋肉は疲労しているはずなのに、疲れを感じないしなやかさ。なるほど、マジメな顔をして服を着たままストレチなんぞやるから馬鹿馬鹿しかったのだ。ナルシスマンのように、ガラスの前に裸体をさらけだし、身体の筋肉、関節の動きを確かめながら自涜(じとく)的ににこれを行なうと、なんとも妖しくも愉快な気分になってくるではないか。こうなってくると、くんくんのビキニがほしくなってきた。ナルシス道、一直線だ。ういうい。

2005/04/21

小さな親切のヒーロー

 なあ、モナミ(朋輩)。ふと見まわしてみると、このニッポンから小さな親切が消えつつあるような気はしないか?
 ホームに落ちた人を助けようとして自分まで電車に轢かれてしまったとか、一生かけて貯めた数十億円もの金をぽんと寄付したり、スケールの大きい親切はまだこの日本に健在であるにもかかわらず、クルマが激しく行き交う道路ばたの縁石にちょこんとすわっている老女などには、だれも見向きもしないで通り過ぎていく。

 そう言っている俺もまた黙って通り過ぎてしまった。自転車だったにもかかわらず、だ。
「こら婆、だいじょうぶか? ちゃんと生きてっか?」
 せめて通りすがりにそのぐらいのことを言ってもよかったのではないか? 激しく自己糾弾しながら、それでも何もせずそのまま走りつづけた。リウマチと骨粗鬆の合併症に難儀しているとか、道路を渡れなくて途方にくれているとか、あるいはただパチンコで大敗を喫しただけなのかもしれないが、いずれにせよ、声をかけるべきだったと慚愧の念。それでも俺は素通りした。
 
 なぜ小さな親切が消えつつあるのか? 昔は俺も数多くいた小さな親切ユーザーのひとりだったはずだ。問題を重視した俺(正確には俺の左脳)は、全身の各器官を統括する枢機卿たちを召集し、15分後には「小さな親切」調査委員が発足、この件に関する調査を開始した。以下は、小さな親切ができなかった要因に関する報告書からの引用である。
 
1、筑波サーキット8時間耐久自転車レースまで残すところ1週間。調整を含めた自転車トレーニング中で80kmの行程をアベレージ30km/h以上で走ろうとしていた。ちょうど72km地点で残り8km。メーターは平均速度31.2を指していた。交通量の多い公道だったので、信号待ちなどのロスタイムを入れると、30km/h以上を達成するためには微妙なラインで、少しでも速度を稼いでおきたかった。(運動中枢の枢機卿の証言より)
 
2、何か面倒なことに巻き込まれることを怖れた。例えば、その婆が石綿妖怪で、声をかけたために新月の晩ごとにつきまとわれるかもしれないとか、多重債務の一人息子が女子高生と偽装結婚をしてさらに借金をかさねようとしていると相談されるとか、こんな御時世だ、いろんなリスクが頭をよぎってしまった。(情報処理担当課長の証言より)
 
3、きっとだいじょうぶだろう、と思った。というより、思おうとした。(匿名の証言)
 
 問題はやっぱ3だろう。空気みたいなもので罪がないように見えるが、今の日本、ひき逃げするやつも、ホームから人を突き落とすやつも、みんなこれだ。空気みたいで罪がないように見えるだけに凶暴なんだ。

    *
 
 なあ、モナミ。家に着くころには俺はほんとにこう思うようになったよ。
「きっとだいじょうぶだろうと思った」の蔓延と本気で戦うためには、「小さな親切」の一大ブームを巻き起こすしかないんじゃないかとね。災害、戦争の脅威が日に日に高まるこの日本が生き残るための草の根運動だ。

 31.5キロ・・婆を見捨てた犠牲の上に80kmの行程を走った平均速度だ。婆の面倒を見ていたら30キロを下回っただろう。でもそれがどうしたっていうんだ?
 俺は、シリウスのごとき炎を胸にともしながらオートバイに乗りかえ、プールに向かった。
 閉館時刻まで65分。2kmを泳いでストレチをするには、かなりぎりぎりの時間だ。プール前の歩道に750ccのオートバイを停め(ほんとは駐輪場に停めなければならないんだけど)、フルフェイスのヘルメットもはずさずに、すわ、駆け込まんとしたとき、道路のはさんだ向こうの歩道から小さな男の子が「ママン!」と絶叫しつつ、たった今しっぽをチョン切られた猫みたいに駆けだしてきた。申し合わせたように、ちょうどそこにランサーエボリューションがぶわんと通りかかり、コマ送りのようになった視界の中で南無三! 男の子は人形みたいに路面にたたきつけられた。
 が、パニック状態のまますぐに起き上がり、また走りだそうとした。俺は待て待てと怒号しながら、二次災害を防がんと車道に飛びだし、両車線のクルマを断固制止。って、モナミ・・俺が轢かれるところだったよ。
 周辺では自転車の女が2人、ぼう然とこちらを見ている。男の子を無事救出し、歩道にすわらせた。歯医者と美容院からも白衣の女たちがでてきた。あいかわらず「ママン、ママン」と泣き叫ぶ男の子。スネにわずかな出血と腫れが見える程度。コンマ数秒のマジックでクルマの側面にぶつかったのが幸いだった。
 男の子をとりおさえたまま、女たちを見まわすが、みなお互いを顔を見合わせるだけ。
「おかーちゃん、おらんのん? おらんのやったら、そのへんの店、探して」
 先の方で停車したランエボのドライバーもやって来て、青ざめた顔で子どもを見る。善良そうな若い男だ。とりあえず危機的状況は脱した。と、ここでいったい俺が何を考えたと思う? 早くプールに行かねば、って・・ほんとです。ノルマ制の全廃を厳しく再確認したばかりだというのに、「小さな親切」運動を決め込んだばかりだというのに、俺はまたしてもそんなセコいことを考えてしまったのだ。
 泣いている男の子を見下ろした。ヘルメットの視界ごしに目が合い、男の子は、すっと両腕を伸ばした。だっこすると、男の子は頭をぴとっと俺の肩につけ、数回ゆすっているうちに泣きやんだ。ドライバーが心配そうに男の子の顔をのぞきこむ。そりゃそうだろう。子どもをだっこしている俺は、ファイヤーパターンのライダースジャケットに、鋲打ちのグローブ、そしてミラーシールドの黒フルフェイスヘルメット姿。子を持つ親なら、3歳ぐらいの男の子の人見知りのすごさは想像できるだろう。俺自身も驚いた。が、素地がないわけではない。ワイフにはからかわれてばっかりだが、小学2年にもなった娘に、毎日20分はだっこをやらされている。不安になった子どもが落ちつく「慣れ」みたいなものはあったかもしれない。
 それにしても、親がまだ発見されない。だっこをしていると、なんだか友愛の心が体中に染みわたってきて、まあ今日はプールもいいや、という感じになってきた。そう、これでいいのだ。
 パニック状態で、やたら謝りつづける女が道の反対側から現れたと思ったら、男の子が急に「ママン」と言って泣きだした。母親にバトンタッチした。ドライバーが何を言っても、「私が悪いんです。私がクルマの中に置き去りにしたから」とくり返す。とりまきの女の一人が、「病院に行った方がいいですよ」と言っても、「いいんです。私が悪いんですから」と、完全に謝罪パニック。
「いやさ、ええだすじゃなくッて、病院だきゃ行っときなせえよ」
 と釘を刺し、俺は颯爽と道を横切ってプール施設に入った。
 もう時計は気にせず適当に泳いで、ストレチをやったら、じつに爽快な気分のまま時間内で2km泳いでしまった。残り1分あったので、ひさびさの50mタイムアタックをやったら、自己新記録の37秒がでた。
 意気揚々と帰ろうとすると、フロントにプールのスタッフが一列に並んでいる。マニジャまでいて、何ごとかと思っていると、笑顔で口々に礼を言われた。さっき俺がプールに消えたあと、事故処理を終えた関係者が礼を言いに来たとのことだった。
「そうですか。ともあれ、子どもはだいじょうぶだったんだね」
「はい」
 小さな親切ライダーは近隣迷惑な爆音とともに走り去った。胸にシリウスの炎をともしてね。

2005/04/29

気持ちいいとこで止めなさい

痛いとこまでやらないように。気持ちいいところで止めなさい。(カーリー・サンダンス『ヨーガ禅とストレチ禅』1969年)

 舎弟の家で酒を飲んでいるとき、トイレで上記の本を見つけた。思わず便座に腰かけ、読みこむ。
 おおいだいじょうぶか、との声に顔を上げれば、はや小一時間。じつはこの1ケ月、ストレチに大いに啓発されている。
 いや、啓発なんてもんじゃない。日がな夜もすがらストレッチに明け暮れている。いっぱしの男が、こんなストレッチ人生でよいのかというと、これがまことゴッ機嫌♪なのである。
 スウィムはノルマ廃止後も毎日2kmは泳いでるが、意識の上ではスウィムをやっているというより、ストレッチの前座になってしまった。スウィムの内容自体も以前のように距離を伸ばそうとがむしゃらになるのではなくて、のびのび〜ん、と泳いでいるから、これもストレッチみたいなものだ。しかし不思議なことに、のびのび〜んとやっていると心拍が落ちてリラックスし、息継ぎの回数が減る、筋肉が疲労しにくい、フォームが自然なスタイルになる、というような感じで結果的にペースが上がり、しらしししという間に2kmぐらいは終わってしまうのである。
 するとマラソンやチャリんこなんかも、なんだかすっかり、のびのび〜ん、という気分になって、心拍を上げず、流れるような関節の動きで、しらししし。ゆやーんゆやーんゆやよわーん、じつに心地よかあ。
 つい先月まで苦渋の表情と脂汗を浮かべて走っていたことに対して申し訳ない気持ちになるぐらいである。
 気持ちいいところで止めるというストレチ精神は、さらには仕事や他の生活スタイルもろもろにまで波及。身体のストレチから脳、思考のストレチへ。脳幹革命にむかって、しらししし。

2005/5/12

インナーマッスル、起動!

筋トレで筋骨隆々をめざすよりも、体の奥深いところの筋肉、インナーマッスルの強化が求められる。しかも筋肉の太さではなく、しなやかさだ、と。
(中村謙「逆こそ真の運動理論」朝日新聞2005年5月15日)

 右脳コンクラーベの霊的直感の正確さには驚いた。まさに求めていたのは「インナーマッスル」という言葉。俺にとってストレッチはインナーマッスルの覚醒と対話だったのである。
 アロー! インナーマッスル!
 亢奮さめやらず、また無意味に徹夜してしまった。鏡を見たら鼻毛が伸びていた。

2005/5/15

くちストレチ

 8570人。

 1年間にのどに食い物を詰まらせて死んだ人の数だと新聞にでていた。交通事故死者に迫る数だ。やはりお年寄りが多い。
 最大の有効策は、口のストレチだという。食べる前に舌を突き出す、あごを大きく開けたり閉めたりするといた準備運動。日課であるプールサイドでのストレチの際に、さっそくやってみた。スウィムパンツで体をくねくねさせながら舌をあぐーと出したり大口を開けたりしていると、かなり変態ちっくでいい感じ。しかも脳をダイレクトに刺激する感じだ。ストレチとはじつに奥深い。まだまだへんな場所の隠れストレチがどこかにあるはず。

2005/5/23

 

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【作者紹介】

スローライフ
 スピードスタイル。

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市原 千尋
Chihiro Ichihara

1970年香川県生れ。小田原に移住して4年目。目下、東海道五十三次を徒歩で完全制覇をめざす39歳。

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