社会・ひと
2014年9月5日
(岡田・サッカー日本代表監督) サッカー日本代表が2010年のワールドカップから帰国後、当時の岡田監督の言葉。
セナが亡くなった94年を境に、F1は様変わりしました。チームはコンピューターで車の状態を把握し、ドライバーに細かい指示を出す。ドライバーには、「他のドライバーに勝つ」という闘争心よりも「上から言われたことをきちんとやる」という受験エリート的な適応力が求められます。 (川井一仁)
F1でさえ・・でも、エリート集団だもんね。峠からタタキ上げ、なんて今やアニメにもならない。
「日本に貧乏人はいるが貧困は存在しない」
便利、快適、安全になり、今の日本社会は人間が家畜化している。
恐怖は人を子どもへと退行させる
日常を踏み外す背徳感を味わいませんか。
今では詩に限らず言葉全体に浮力がついている。
「何かを隠した人は、すべてに覆いをかけている。自分自身にさえ」
家族になるというのは、皆で少しずつ、共有の嘘をつくっていうことなんじゃないだろうか。
ピコピコした軟弱な音楽をすごい怖い顔でやる。そこに男気がある。
やりすぎなら成功
貧困に魅入られて獣になった人をたくさん見てきた。
覇気のなさには腹が立つが・・
すべてを飲み尽くし消費する都市。平準化する地方。
日用品に『用の美』を見いだす。
昆虫だって引きこもる。
被害者意識は自己増殖します。
僕はそうした尾道のシワを撮り続けているんだ。
「届かないパットは、絶対にカップインしない」
この世界で偉いやつは。
ポッキーには、真似されないノウハウが詰まっている。『アナログ』は強い。
すっぱり切れている。
今から兵隊に行く人間は勇ましい絵は描かないんだ。
深い川ほどゆっくり流れる。
最も完全な復讐は、侵略者の真似をせざることなり。
不幸は、快感不足ゆえでなく、快感過多で頭がまひすることにある。
意外にも、世界というものは身近なところから動く。無力ではない。
遺体が見つかってからは「お母さん」と呼ぶようになった。
繁殖を終えた我々の。
現実とバーチャル? うるせぇって話です
「思い出の味」も変わらねば。
すぐ役立つことは、すぐ役立たなくなる。自分で見つけたことは一生の財産になる。
全員が毎日、腹筋100回やれば日本一になれるよ。
人間力のある人は、自らの「個」を解放することで、他の人々の「個」をも解放し、生命力をよみがえらせる。
人々が同窓会へ出かけて、交錯した時間の糸をたぐり寄せあうのは、昔の自分に出会おうという無為の作業である。
今や人々は自ら進んでプライバシーを明け渡す。
「M」は自分の思う通りに弄ばれたい思っている。実はわがままなんです。
「人というのは、自分はおろか、何かを代表することが原理的には不可能なのです」
民主主義は、哲人王へのあきらめから出発しているのだ。
スケープゴートを決めてつるし上げ、自分は安全な側にいると確かめるような傾向がある。